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わたしに語れることがあるとすれば

娘が2歳半を迎えようとしていた、1年前の今頃。とある窯元へ向かって秋晴れの田舎道をてくてく歩く。まだ母乳を飲ませていた娘に、そろそろ終止符を打つ頃かしらと悩んでいた私は、揺れ動く気持ちと同じように曲がりくねった道を進み、とうとう或る方の作陶展の会場へ辿り着いた。作陶するご本人にお目にかかるのも器を間近で拝見するのも初めてだった。案内状に添えられていたご本人の文章に甚く感激した私は、このような文章を書かれる方の器を是非この目で見てみたいと思い、もう暫くはどこへも出掛けなくていいからこれだけは頼むから連れてってほしい、と夫にお願いし叶えてもらったのだった。


話は入り乱れるが、そう、授乳の件。娘の母乳への執着といったら、微塵も衰えを見せない確固たるものがあった。月齢とともに回数が減ることも、何か別のことに夢中になって忘れてしまうこともなく、きっと中身は空っぽだろうのにいつまでも飲みたがった。寝かし付ける時も必須なので私以外に娘を寝させることはできない。仕事中コンコン!と扉が鳴ると、夫に店を任せて裏へ下がり暫しの授乳タイム。戻ると満席の店を夫ひとりで対応していたなんてことも。休日出掛ける時もなかなか気を遣う。ご丁寧に断乳の勧めやご指導を頂くこともあった。一番堪えたのは、唯一のひとり時間=早朝5時の珈琲タイム。一日一杯の楽しみ、淹れたての珈琲を今まさに飲まんとすその時、「えーん、おぱぱ~」と暗闇から聞こえてくるあの瞬間である。けれど、娘はおっぱいが本当に好きな子だった。それが彼女の安心に繋がるのなら、どうしてダメと言えるだろう。様々な不便や葛藤はあったが、それでも私たちは娘が欲しがるだけ飲ませようという方針でいた。両親らもよく理解してくれていた。家族みんなで娘と私の母乳の時間をとても大事なこととして過ごしてきた。しかしもうすぐ2歳半。そろそろ終わりにしてもいいかなという気持ちが強くなっていく。


さて、Tさんの器を目の当たりにした私は、これまで感じたことのないようなある種の衝撃を体の中に熱く感じていた。美しく、揺ぎ無く、確かなもの。言葉足らずで表現しきれないが、大地のような…包まれるような…何とも言われぬもの。もう40年以上もこのような厳しく地道な仕事を続けてこられたのかと思うと、もはやため息しか出ない。Tさんという人、Tさんの生み出した器、営み、時間、それらがひとつになった空間。よほどの衝撃だった。この方を知ることができて本当によかった。でも私のような人間がTさんとお話しできることなどひとつもないと思った。あまりに偉大過ぎて。到底無理なのは分かっているのに、彼の生き方に憧れのようなものを抱いてしまう。その時ハッと思った。いや、ひとつだけTさんと語れることがあるとすれば、「私は娘におっぱいをあげています」ということだ。勿論語りはしませんが。それでこの日私は改めて思ったのです。これでいいのだ、と。子どもにおっぱいをあげるという、原始的で母性的な行為のなんと美しく素晴らしいことよ。そしてその夜娘に言いました。好きなだけ飲んでいいからね、と。


器とおっぱい。何の話だ(笑)、となると思いますが、きっと私にしか通じない「私の育児雑記」。お付き合い下さり、ありがとうございます。恥も承知で今後も時々更新させて頂きます。

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