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雑草感

一関・平泉周辺の遊水地に広がる田園風景、6、7月は緑の絨毯のようで、ドライブしていて気持ちがいい。田んぼや畑をやっておられる方々、土地を管理・整備されている方々は、この時期の草刈り・草取り、本当にご苦労様です。どうぞお体労りながらお仕事なさってください。


一方、私。赤ちゃんと過ごしていると、家の周りの草取りができない。「雑草が生えている=恥ずべき事」、「=農作物に影響する」という感覚は一応あるにはあるし、汗だくになりながら無心で草をむしるのは嫌いではない。…のだが、今年はもう諦めている。赤ちゃんのお世話と見守りが一番。除草剤は使いたくない。という訳で、過去最高に伸び放題。それでも、ご近所さんに種が飛んでいかない位の最低限はやるかと、網戸のそばに布団敷いて息子を寝かせ、様子を見ながら5分だけ。


よく見ると可愛らしい葉の形、小さな花をつけてるのもある。ふと思い出した。昔夫がぼやいてたこと。「どれが雑草なのか分からない。」そんなこと考えたこともなかったが、言われてみれば実は私もよく分からない。何となくむしっている。すっかり雑草が無くなって整備された庭が良し、としていたけれど。それらはもしかすると食べられる草や薬草だったかもしれない。虫たちの食べ物や遊び場だったかもしれない。引っこ抜かれた草たちも「人間は勝手だなー」と言ってたのかもな。


じゃあそもそも雑草とは何だろうか。ざっくり「雑草=人間にとって不都合な植物」なのだとすれば、うちの4歳の娘にとっては庭の植物はどれひとつ「雑草」ではない。彼女は雑草だろうが何だろうが関係なく愛おしんで摘み、「ハイ、これおうちに飾ってね」と持ってくる。それで一輪挿しに挿すと、なかなかよかったりするから面白い。人によって、都合によって雑草感は変わる。


そんなこんなで、草取りができてない言い訳が色々できあがってくるのだが、世間一般からすれば単なる管理不行き届きの家(笑)。ならばいっそのこと、自然に生えてきた植物も、私たちが意図して植えた植物も共生した庭ができたらいいのに。草花ボーボーの、けれど、歩きたくなるような庭に。毎年適当に種を撒いているが、いつしかターシャのような素敵な庭になるかしら。いえ、現在のところ、まったく期待できません(笑)。



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