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BLOG

SATOかあさん部のイベント案内、活動記録、日々の徒然などを綴っています。

我が家は和室のある古い小さな平屋。理想の家とは程遠いが、かつてのアパート暮らしとは違って、お隣さんとの距離も程よくあるので、3ヶ月の息子がおぎゃあおぎゃあと泣いたり、4歳の娘が好きに歌って踊って跳ね回ることに対して寛容でいられるのがいい。そしてやっぱり和室はいい。寝転がれる畳は勿論のこと、障子が透す光の様子や、床の間にちょっとしたものを飾る楽しみなど。余計な物を置かないだけで和室は気持ちよさがググっと増す。和室の空間美。その心地よさは、装飾品やどこか作り込まれた美しさではなく、自然の光や影、風、余白、人の気配など、いつでも隣にあったもの。めちゃめちゃ感動するものでもないんだけど、ふとした瞬間に、あるいは、受け手の心持ち次第で、ほんのり心が和らぐような。


さて、うちではベビーベッドは使わず布団派です。寝かせた赤ちゃんと過ごす日々は、自然と畳(床)に座る暮らしが主流になる。結果、娘とも目線が同じ高さになる。大事なことを話す時、大人はしゃがんだり膝をついたりして、子どもと顔と顔を合わせて話すけれど、特に大事でないときだって、身を低くして子どもと同じ目線でいることは思いのほか大切なことのように思う。立ってるときや椅子で作業しているときは「ごめんね~ちょっと待って」と背中で言うのに、畳で過ごしていると「もうひと遊び付き合うか」となったりするから不思議です。困るのはジーパンがすぐ擦り切れることぐらい。畳暮らしのおかげでゴミにもよく気が付き、あ掃除しよ、となる(笑)。


掃除と言えば、赤ちゃんと一緒にいると、音の出る掃除機は使うのが躊躇われる。ちなみにハンドミキサーも同様で、自家製マヨネーズをガッツで泡立て器でやってくじけたことがある(笑)。話は戻って、そうそれで最近掃除はめっきり座敷ぼうき。以前Eテレで和室に濡れ新聞をばら撒いて掃いているのを見て、娘「やってみたぁい」と。娘と楽しく掃除。なるほど、ほこりが濡れ新聞に吸い付くってわけか。娘にとっては掃除が遊びになる。

隅から順序良く畳の目に沿って掃いていくと、反対側の廊下の方に自然とごみが出ていく仕組みになっている気がするのは、気のせいだろうか。和室は理にかなっている。


息子はまだ3ヶ月の赤ちゃんなので今は寝てるだけだからよいけれど、動き出したら危険なものが家の中にはたくさんある。娘がハイハイの頃、玄関の段差対策のため段ボールでガードしていて、訪問者が「?」という顔をするのにイチイチ説明してた頃が懐かしい。ドアに指挟む事件、網戸に寄りかかって落ちる事件…数々のヒヤリがありました。先日保健センターから頂いた『わが家の安心ガイドブック』(企画・発行/公益財団法人 母子衛生研究会)を読んだら、あるあるがいっぱい。これはマジで大事や。赤ちゃんと暮らしていてまだ読んでいない方、お子さんが2~3歳になった方も改めて、読んでみてはいかがでしょうか。


2人の育児+家事。娘をかまってやりながら、息子のオムツ替え、そうしている間に料理が焦げちゃった!ってことが一度や二度ではない。火事にならないように本当に気をつけなきゃと思う今日この頃です。

  • 2019年7月20日

更新日:2022年7月15日

実家の押入れから我が家にやってきた、年代物のこども服。どうやら私も着てたらしい。

今では見られないようなレトロなデザイン。夫とツボにハマり、娘の時に家着として着せて楽しませてもらいました。着せるとまためっちゃかわいい。この度4年ぶりに押入れから登場 for息子。昭和時代のMade in Japanは生地も縫製もいいものが多く、多少シミがあったりヨレたりしているが捨てるに忍びない。

お気に入りの組み合わせ。ズボンのぽっけには「SPORTS」の文字。そしてこのクマの表情。



亡き祖母手作りの産着も。シミもなくキレイにしまってあった。既製品は勿論あったでしょうが、まだ自分の着るものは自分でつくる時代だったので、和裁も洋裁も編み物もやった祖母。おそらく冬の間の手仕事として。生まれてくる私を思いながらつくってくれたのかな。でもその時、ひ孫が着ることまで想像していただろうか。世代を超えて着られた手作りの産着や浴衣。私は祖母、母の残したこれらを、例えば型紙にして新たにつくる事もできるし、あるいはもう30年しまっておくこともできるのだ。


  • 2019年7月19日

更新日:2022年7月15日

一関・平泉周辺の遊水地に広がる田園風景、6、7月は緑の絨毯のようで、ドライブしていて気持ちがいい。田んぼや畑をやっておられる方々、土地を管理・整備されている方々は、この時期の草刈り・草取り、本当にご苦労様です。どうぞお体労りながらお仕事なさってください。


一方、私。赤ちゃんと過ごしていると、家の周りの草取りができない。「雑草が生えている=恥ずべき事」、「=農作物に影響する」という感覚は一応あるにはあるし、汗だくになりながら無心で草をむしるのは嫌いではない。…のだが、今年はもう諦めている。赤ちゃんのお世話と見守りが一番。除草剤は使いたくない。という訳で、過去最高に伸び放題。それでも、ご近所さんに種が飛んでいかない位の最低限はやるかと、網戸のそばに布団敷いて息子を寝かせ、様子を見ながら5分だけ。


よく見ると可愛らしい葉の形、小さな花をつけてるのもある。ふと思い出した。昔夫がぼやいてたこと。「どれが雑草なのか分からない。」そんなこと考えたこともなかったが、言われてみれば実は私もよく分からない。何となくむしっている。すっかり雑草が無くなって整備された庭が良し、としていたけれど。それらはもしかすると食べられる草や薬草だったかもしれない。虫たちの食べ物や遊び場だったかもしれない。引っこ抜かれた草たちも「人間は勝手だなー」と言ってたのかもな。


じゃあそもそも雑草とは何だろうか。ざっくり「雑草=人間にとって不都合な植物」なのだとすれば、うちの4歳の娘にとっては庭の植物はどれひとつ「雑草」ではない。彼女は雑草だろうが何だろうが関係なく愛おしんで摘み、「ハイ、これおうちに飾ってね」と持ってくる。それで一輪挿しに挿すと、なかなかよかったりするから面白い。人によって、都合によって雑草感は変わる。


そんなこんなで、草取りができてない言い訳が色々できあがってくるのだが、世間一般からすれば単なる管理不行き届きの家(笑)。ならばいっそのこと、自然に生えてきた植物も、私たちが意図して植えた植物も共生した庭ができたらいいのに。草花ボーボーの、けれど、歩きたくなるような庭に。毎年適当に種を撒いているが、いつしかターシャのような素敵な庭になるかしら。いえ、現在のところ、まったく期待できません(笑)。



「あそび」「食」「くらし」「からだ」をテーマに、親子で楽しめる場を。そして、自然に寄り添う営みを目指して。

S A T O
かあさん部
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