先日実家に帰った際、娘が「おばあちゃん、今日はおでんにしようか!」と母に言った。母は「あぁ~それがね、大根がまだ小さくてね…。おでんはもうちょっと先かな。」と言った。何気ないその会話が私にはハッとさせられる出来事でした。私ならきっと「材料がないから、スーパーに買いに行かないとね。」と言ったはず。でも母は、畑の大根が食べ頃になったからおでんを作る、今畑にある材料でできる料理をする、ということを自然とやっているのです。それは「旬のものを頂く」という本来であれば自然なこと。私のようにスーパーで見かける旬のものを時々取り入れるのとは違うのです。思い返せば、うちの実家の食卓は旬と共にあるような食卓でした。山菜の時期になれば、父は山に出掛け春が到来した喜びとともにほろ苦さを味わう。夏は青虫かというほどサラダを食べる。とうもろこしはお盆前にはまだで、甲子園の準々決勝ぐらいからガリガリ食べながら観戦。秋になれば食べるのに大忙し。秋刀魚もそのひとつ。それが一回食べれば終わりではなく、刺身で、焼いて、煮て…と毎食秋刀魚尽くし。冬になればおでんや鍋。またこれー?と飽きるほどそれ。リクエストすれば別ですが、わざわざ夏野菜を冬に買ったり冬に食べる野菜を夏に買ったりしないのです。でも、自然に沿った食生活というのはこういうことなのだろうと思います。今は便利でスーパーに行けば、ある程度季節を問わず何でも手に入ってしまう。昔の人たちはそれができないから、季節ごとの恵みを頂き、そして保存する方法を色々考えた。私の食生活はそれには程遠いな…昔の人たちはすごいなぁ。せめて保存食づくりは少しずつ覚えたいと思っています。そしてそれを将来子どもたちに伝えていけたらいいですね。さて、実家からもらってきた大量のもってのほか(菊)を早く茹でてしまわねば。まずはむしり取る作業を無心でやります。
まだ雪の残る羽黒山 ありました、こごみ 山の恵み 少しだけ戴きます
Comments